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45trio "Mysterious Vibes/A Little Spice" Review

5月8日にSWING-O率いる45trioの新作inchレコードがリリースされました!

てことでこれは解説しておきたく思います。旧譜も本当なら語りまくりたいぐらい色々詰め込んでるんですけど、そういやしてなかったですね。この2曲もなかなかの詰め込み様だと思います。あなたはいくつわかったかな?という答え合わせを始めます(笑)

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"Mysterious Vibes / A Little Spice" by 45trio
Label : Bloom Music BLMS-010

45trio is
SWING-O(keyboard/talkbox)
SUNAPANNG(bass)
Masahiko Kubo(drums)

配信はこちら



■Side-A "Mysterious Vibes" cover of The Blackbyrds(1977)
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 これはレアグルーヴとしてだけでなく、HipHopサンプリングソースとしても有名な曲ですね。某レーベルでも背景にこのジャケットが使われていたりするしね。これは行儀良くシンプルにカバーしてます。俺のソロは控え目にしつつ、ドラムの久保正彦とベースのSUNAPANNGがグイグイと引っ張っていく曲に仕上げました。いやほんとこのドラムとベースは心地よくて素晴らしい。

 ここで大活躍させてもらったのはtalkboxです。MXRというメーカーのものを最近は愛用してます。これをコンデンサマイクで録ったことでより温もりのある音で録れましたね。エンジニアの飯村くんがいい感じに録ってくれました。ついでにtalkboxを録ってる時の写真をどうぞw

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■Side-B "A Little Spice" cover of Loose Ends (1984)
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 答え合わせが必要なのはこの曲ですね。これはもう詰め込みまくってます。

 そもそもは1984年のUKソウルユニットのこの素敵なジャケットの1stアルバムタイトル曲なんですが、シングルの裏面に入ったぐらいの曲。それがクラブ界隈で有名になった理由はグループ解散後の1992年にリミックスアルバム"Tighten Up vol.1"に収録のGang Starr Remixですね。原曲はいかにもUKソウルな打ち込みの曲だったのを、いいあんばいにHip Hopに仕上げたこれは今でもよく知られているバージョン。Loose Endsの中でも実はクラブ界では最も有名なのかも?なので45trioのバージョンはこのremixバージョンを土台にしました。




 で、どうせジャジーに始まるのなら、とあのベースラインをぶっ込んでみました。Digable Planets"Rebirth Of Slick(Cool Like Dat)"(1993)です。



ちなみにこのベースラインの元はArt Blakey & The Jazz Messengers "Stretching" (1978) です



ってとこでレーベルのプロデューサーでもあるEitetsu Takamiyaさんがアイデアをくれました。このネタもぶっ込んじゃえるんじゃないか?と。



DJ Koco a.k.a. Shimokitaなどはこのネタの部分に反応してくれて、そこをこのSoho曲と混ぜるmixをInstagramで披露してくれました。




そんなこんなを挟みつつ、最後はDigable Planetsで終わる様に仕上げました。なかなかの重層的な詰め込み方でしょ?笑

 って感じで、分かる人はニヤッとする仕掛けを何重にもしております。が、一番大事なのは「元を知らない人も気持ちいい仕上がりであること」我々3人の、3人なのに3人に聴こえないアンサンブル、そして録り音のよさ、そしてミックスの素晴らしさ、全てが相まって、45trioとしての最高傑作が出来たと自負します。そう、個性を出すのはオリジナル楽曲じゃなくてもいいんですよ。ま、印税は作者の方に行っちゃいますけど、音楽家としてのエゴとこだわりはカバーでも十二分に発揮できます。そして原曲へのリスペクト、つまり歴史へのリスペクトも表現できる訳です。

 おかげさまでレコードは発売日にして売り切れ店続出のようで、ありがたい限りです。早速今宵から今週末からDJでプレイする人も多数いるでしょう。そこでこんな会話が生まれてくれることを期待してます。

「この曲なんだっけ?」と聴くお客さん
「あ、これはね」と答えるDJ

 会話を生む音楽。音楽から広がる音楽会話。そんな場を生むための盤として愛されることを願ってますw







# by jazzmaffia | 2024-05-09 01:31 | 俺!俺! | Comments(0)

「すっぽりと抜け落ちるもの」への嗅覚 寺尾紗穂

 事実上ジャーナリストと言っていいポテンシャルを持ちつつも表向き(?)シンガーソングライターである寺尾紗穂の書籍のレビューを記すのは若干恐れ多くはあるのだけれど、なるべく肩肘張らずに俺なりに記してみたいと思う。そう、記しておきたいと思ったから。

 彼女の書籍との出会いと感想文は3年前に記した。( 「一緒に散歩をしてみたい人だな、寺尾紗穂」 ) その後もネットショップ 限定ものを含めてちょくちょく読んではいたが、この二冊、特に『倭国人が移民だったころ』はその壮大なスケールにやられたので、記しておきたいと思った次第。昨年の夏には購入していたんだけど、相変わらずの「つん読」体質なものでね、ここ最近のレビューだらけなのを見ても分かるだろうけれど、今やっと色々と一段落して、そこから広がった本がまた積まれたところ。そんな訳でこの本『倭国人が移民だったころ』は買ってからは時間が経っているものの、読み始めたのは4月後半、すぐに読める読みたくなる流れの本でした。基本、最近読了した写真左側の方を軸にレビューさせてもらいます。

「すっぽりと抜け落ちるもの」への嗅覚 寺尾紗穂_d0094512_23224271.jpeg
『倭国人が移民だったころ』2023年初版 (最近読了)
『南洋と私』文庫本 2019年初版 (実は結構前に読了してます)
寺尾紗穂 著


 いやぁ改めて凄い人だな。凄いと言っても大谷翔平的な凄さとは違う、テレビ的でない凄さ。多分、身近にいる人や歴史好きや、俺のようなタイプのニッチなアンテナを張っている人にしか伝わらないであろう凄さ。だって読んだ書籍がきっかけで「その後」を知りたいがために南の島まで旅に出ちゃう人だよ。この本ではコロナ禍中にパラグアイ、アルゼンチンとブラジルの間の国にまで行ってしまう人だよ。倭国からしたら地球の反対側だよ。俺もそれなりな行動力と実践力はあると自負しているが、この方向の行動力は、ない、遥か及ばない。

 『南洋と私』は解説を重松清が記していて「すっぽりと抜け落ちるもの」を探し、拾い集める旅、と記されていたが、実に的確な表現に思う。俺的に付け加えさせてもらうならば「現代の宮本常一」。そのフットワークで「すっぽりと抜け落ちるもの」を拾っていこうとする佇まいはまさに同じ。大手メディア〜テレビ的というのは分かりやすいものを列記して消費を促すシステムがベースにある。改めて過去を振り返る番組などがあったとしても「遺跡発掘!」のようなベクトルか「戦争という過ち」という分かりやすいベールに包んで総括するものがほとんどで、なかなかそこに伏流する重層的な側面、政府批判に陥りそうな側面までは語られない傾向にある。そんな中、彼女がその鋭い嗅覚でキャッチするものは全くもって「テレビ的」ではない。言い換えるならば、「テレビ的」なメディアが見落としてきた歴史に反応するような嗅覚だから、ということだろう。

 この二冊はあの戦争、太平洋戦争にまつわるサイパン、パラオなどの南洋における戦争の当事者たち(『南洋と私』)、タイトル通り倭国人が移民として色んな国に移民していた頃を知る人および当事者たち(『倭国人が移民だったころ』)への直々のインタビューをまとめたノンフィクション。いずれも「**の人は親日的」などのテレビ的な定説に対する違和感に端を発し、自ら足を運んで当事者の言葉を聞き、ひとつの結論に導こうとするのではなく、多様な解釈がそれぞれにあることを浮き彫りにする。

 そんな彼女の佇まいは以前のblog記事にも引用したけどこのやり取りに集約されているように思う。

*****

■「いろんな人の声を聞けば聞くほど、どちらにも共感してしまって、ひとつのこれ、と言う主張を言えなくなってしまうんです。どうしたらいいんでしょう?」と言う質問に対しての答えが

「いろんな意見を知って自分の主張ができなくなってしまう、何が正しいかわからなくなってしまう、そう言う状態は必ずしも悪いことではなくて、白でも黒でもない新しい答えを出すために必要な通過点になるのではないでしょうか?」

*****

 そもそも『倭国人が移民だったころ』ってタイトルからして太平洋戦争の陰を知るぐらいの高齢者以外はハテナ?な感じじゃなかろうか。俺も漠然とブラジルへの移民や、ペルーの大統領になったことがあるフジモリ氏が熊本をルーツとする移民であると言うこと、つまり南米にそこそこ倭国人移民がいたことは知っていても、体感的には倭国のどこにもあるフィリピンパブ、中国人街韓国人街、町によってはブラジル移民沖縄移民街があったりして(そこに飲みに行ったりもするので)、「倭国に出稼ぎに来た移民が沢山いる、という「移民に来られる国、倭国」という印象の方が強かった。昨今のどのコンビニエンスストアも外国人が店員をしていたりする訳だからその印象は更に強くなる。

 ところが実際は戦前1930年代の成長期(人口爆発)、戦後には引き続きの子沢山と大量の帰還倭国人がいたことで1940,50年代を中心に多くの倭国人が「ここではないどこか」を求めていろんな国に移民として旅立った人たちがいることを知るのは驚きだ。いずれも「このままだと農業をするにも土地がない」という子沢山時代であるが故の問題解消のために、倭国政府が他国へ移民させる政策を積極的に行なっていたらしいのだ。驚きではあるが1969年生まれの俺には何とも体に入ってくる史実ではない。その「何とも体感できない」という違和感を一回り年下の1981年生まれの寺尾紗穂はより感じて、その当事者たちに会いに行って確認するという行動を起こしたんだろう。そこが素敵だ。

 かく言う俺も、親父の仕事の都合で幼少期に3年近くフィリピンに住んでいたことがある。1978-80年に、フィリピンの、しかもレイテ島と言う太平洋戦争の激戦区だ。俺の記憶でも「ここは倭国人が破壊した教会だよ」と言われた場所があったり、マッカーサー上陸記念公演があったり、でも倭国人が慰問に訪れつついろんなことをしてくれて助かってるという話を聞いたりと色々あった。俺がもし寺尾紗穂並みの行動力があるのなら、きっと今すぐレイテ島に行って色々と戦争の痕跡を訪ね、生存者に色々と話を聞いて回るんだろうな。俺の記憶でも、倭国語を喋れるフィリピン人の爺さん婆さんとかいた気がするし、何なら混血児な方もいるかもしれないしね。 

 駄文になってしまったけど、寺尾紗穂の書籍に伏流するのは「健在なうちに直接会いに行って聞いておかねば消えてしまう」ものを書き留めていこうとする責任感だ。全くもってテレビ的でないもの、すなわち現代の資本主義ビジネスに乗っかりにくいものの中にある大事なものはもっと沢山あるはずだと。漠然とした違和感解消のため、漠然とした興味に対する行動力を、こうした書籍がきっかけで一人でも二人でも多くの人に受け継がれればいいなと思う読了感でした。

 あぁ、Facebookで繋がっている、今でも地元レイテ島にいる音楽の先生に連絡ぐらいはしてみようかな。いつも俺がピアノを弾いてる動画に反応くれるからな。俺の行動力は、、、それぐらいかなぁ、、、またフィリピンも行ってみたいな、、、

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15年前にレイテ島に行ったときに恩師に再会

「すっぽりと抜け落ちるもの」への嗅覚 寺尾紗穂_d0094512_01131522.jpg
倭国人が破壊した教会と説明されたものは今でもこうしてそのまま戦争の傷跡として残されてました




# by jazzmaffia | 2024-05-04 01:14 | SWING-OによるReview | Comments(0)

危険な読書のススメ〜『愛と幻想のファシズム』

危険な読書のススメ〜『愛と幻想のファシズム』_d0094512_01490327.jpg
『愛と幻想のファシズム』村上龍 著 1987
 これが書かれたのが1984-1986年というのがまず驚きだ。まだ昭和だし、昭和天皇健在だし、バブル前でもある、そんな時期に、来たる倭国を憂いて、バブル崩壊と更なるアメリカの属国へまっしぐらになるであろう倭国政府を憂いて記された小説。いやもうタイトルがタイトルだから、少し敬遠してるうちに30年以上経ってしまった。

1987年と言えばもう一人の村上、村上春樹は「ノルウェイの森」の特大ヒットな年でもあり、その頃は本屋に行くと「あなたはどちらの村上が好き?」的な感じで、同じぐらいの幅を使って店舗に置いてあったと記憶する。そんな自分は、このblogを読んでくれている人には明白なように村上春樹派ではある(読了書籍数ベースで)。だが個人的には村上龍の政治への造詣が深いところは好きで、彼が過去主催していたメルマガ読者でもあり、触れていた時間は大差ないかもしれない。

 どうしてこの本を今更読もうとしたか?と言うと、同じく俺が大好きな内田樹氏も触れていたことがあった(はず)で、いつか読まなきゃなとここ数年思っていたから、と言うのが一つ。そしてこのblogでも記した、「グローバリストに抗したヒトラーの真実」と言う本を読んだから。昨今のSNS上の厳しいコンプライアンスによる発言自粛だったり、はたまた逆に「自分の政治的意見は言え!」的な空気感の狭間な今、最も敬遠されていると思しき「ファシズム」とはなんぞや?いやヒトラーとはなんぞや?と言うものを分かっておく必要があると個人的には感じていてね。あと同じぐらいマルクスや資本論に関しても知っておかないといけないのではないか?「触れてはいけない」と言う空気感だけを理由に学ばないのは逆に危険じゃないか?と思っていてね。ある種の宗教と一緒かもしれない。宗教というだけで洗脳と言うだけで敬遠するのではなく、なぜ信者がいるのか?そしてどれぐらい危険か?もしくは実は危険じゃないか?などを各自が考えれるようなバイタリティを持たないと、逆に大手メディアか文春砲の垂れ流す情報の信者になってるだけじゃないか?と。

 うわー我ながら危険な領域のことを記してるのかもしれない、と思ってる自覚はある。だからblogに記している。自分がまた何年後かに読み直しても参考になる感想文を書いておこうと言うのが目的だ。いやもうこのまま前置きだけで終わってもいいんだけど、一応感想文的なものも記しておこう。

*****

 先に記したようにこの本「愛と幻想のファシズム」は1987年に書かれているが、ある種の予言書めいたことにも結果的になってしまっている。バブル崩壊はもちろんのこと、電化製品から自動車を軸にどんどん世界を席巻していくバブル倭国をどのようにしてぶっ潰すか?と言う欧米、特にアメリカを中心とした動きがあるであろうこと。この本の中では大手企業が合体した「ザ・セブン」と言う団体が世界を席巻していくさまが描かれるが、その「ザ・セブン」は昨今言われるDSと同じだ。もはや国という単位ではなく、経済を軸にした別な枠組みが世界を再構築していくであろうことは、現在に鑑みても当たっていると言っていい。下手な国よりもAmazonとかMicrosoftとかAppleとかマクドナルドの方が世界への影響力がある訳だからね。

 まだ冷戦期に書かれているんだけど、冷戦崩壊と米ソの接近も予測されているし、中国のその後の暴走も予測されている。が、村上龍はあとがきでも記してるが、それ自体はどうでもいいと言っている。予言書として書こうとしたのではないと。著者が記そうとしたのは、この資本主義な「システム」が覆い尽くす世界をひっくり返すにはどうすれば良いのか?をテーマに記した小説だとのこと。この後に書かれる『五分後の世界』なども「もし倭国が太平洋戦争で降伏しなければどんな世界になっていたか?」を小説にしたものだしね。

 なにせ著者村上龍は「どうすれば倭国人が倭国人としてのプライドを持った社会を、この世界の中で構築できるのか?」を軸にしていろんな形の物語を記してきたんだとも言えるかもしれない。

 そういう意味では、かなりハードボイルドなタッチではあるけれど、ある男たちが偶然をきっかけに立ち上がり、倭国政府から果ては欧米の有力者たちを手玉にとっていくこの小説は小気味いい物語ではある。そしてトージという主人公がトップの政治団体の狩猟社も、小説の中で周囲からはファシズムと呼ばれたりしているが、自称はしない。この、自主性のない国倭国がプライドを持って立ち上がるにはある程度の荒療治が必要なのかもしれないし、周囲の国からは一時的にはファシズムと呼ばれる行程を経ることも必要なのかもしれない?という設定で、結果「南」「第三世界」という扱いの国々もまとめて一つになっていけそうになるところで物語は、終わる。蔓延るアメリカ式資本主義を倒せそうなところで、終わる。「システムを破壊するためにシステムを作ってしまっただけなのかも?」という自問自答と共に。

 小説の役割は色々あるけれど、現実逃避やファンタジー(一緒かもだけど)や背中を押すポジティブ物語だけではない、こうしたかなり政治的で、世間的に危ない領域とされるところに未来へのヒントがある(かもしれない?)という切り口の物語もあっていいのではないか?改めてそんなことを思う読了感でした。

 ただ、この本の下巻を買いに行こうと思ってかなりの本屋をまわってみた時に(なるべくAmazonで買いたくなくてね)、文庫本は村上春樹は数十冊置いてあっても、村上龍は数冊、場合によっては置いてないことの方が多いという事実にビックリした。あの頃の「あなたはどちらの村上派?」という時代の面影は全く残っていない。フィクションとは言え、切り口が直球なものが多い村上龍はもはや危険図書扱いなんだろうか?

 実は村上春樹も充分に政治的な視点は小説の端々にあるんだけれど、表看板のようには出していない、その、暗号のような佇まいじゃないと今の時代を記しちゃいけないのかもしれない、本屋が扱ってもくれない、人々に届かないのかもしれない。そうしたカウンターカルチャーとしての小説の存在しづらさは残念だけれど、音楽よりはその先鋭性はかろうじて守られている気もする。街の小さな本屋でもある程度まではとんがった本は売られてるし、売れてるわけだからね。

 円安は進む一方の昨今だけど、この小説内でも円安がぐいぐいと進んでいく(1$=¥500まで!)。それへの対処が後手後手でダメな政府というのも小説内と現実は一致してしまっている。政府をバカにするのは簡単なんだけど、(それを転覆させるにはまずは選挙だとして)、その更に次のビジョンを俺たちはどう描くべきなのか?史実を含めていろんな物語を読んでおくことはこれから生きていく上では大事なことのように思った。1987年の小説にそんなことを思わされましたとさ。


*****

P.S (5.2.2024)
そう言えば村上龍氏はメルマガ他いろんな場所で、世の中が順調そうな時こそそこに孕む膿を描き出す必要がある、的なことをおっしゃってた気がする。そういう意味においてはこの小説「愛と幻想のファシズム」はバブルに向かう上向きな時代に記された「まさに!」な小説であったことを思う。が、昨今の誰もがストレスを感じる時代、社会や政治の問題点を指摘できる時代、に必要な物語はその逆ではないか?そう思うと、この手の物語は今必要とされるものか否か?は微妙にはなってくるのかもしれない。そういう意味においてはやはり村上春樹氏の方が「個」を描き方が今の時代にフィットしているように思えてきた。


# by jazzmaffia | 2024-05-01 02:51 | SWING-OによるReview | Comments(0)

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